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中共は80年代並みの衰弱 彭家声情勢読み誤る

2015年02月28日

【新唐人2015年02月28日】旧正月の後、ミャンマー北部でのコーカン族武装勢力と政府軍との戦いが平穏になりました。彭家声率いるコーカン族の「ミャンマー民族、民主同盟軍」が町から撤退したのです。ミャンマー国防軍は再び町や道路を占領しましたが、同盟軍のゲリラ戦に直面し、同盟軍を徹底的に消滅させる術がないようです

 

2月21日、ミャンマー国防軍は同盟軍捕虜の供述から、彭家声の同盟軍に中国人傭兵がいることが判明したと伝えました。24日、彭家声は中共の新聞を通じ、この情報を否定しました。

 

彭家声と中共の関係は前世紀まで遡ります。彭家声の原籍は四川省で国民革命軍に参加したことがあり、かつてはコーカン族土司軍隊の将校でした。1962年、ミャンマー国防軍は連邦協定を破り、土司一族を逮捕しました。コーカン族の土司、楊振声が兵を起こしこれに抵抗しましたが、彭家声もこの革命軍に参加しました。

 

彭家声の軍隊はミャンマーの初代「麻薬王」 羅星漢(ロー・シンハン)に勝てず、中国で中共の支援を受け、訓練後に再びコーカンに戻りました。彭家声本人はミャンマー共産党内で20年余り要職を担当しました。

 

中共は文革後極めて薄弱となり、共産主義の失敗を意識した鄧小平は国を開くことにしました。改革開放の前、鄧小平は暴力革命の輸出を放棄し、東南アジア諸国の共産党への援助を断ち、雲南省の東南アジア共産党訓練基地を閉鎖、武器と食糧の支援を停止し、ラジオ放送を中断しました。ミャンマー マレーシア、タイの共産党は中国共産党の支援を失った後次々とそれぞれの国の政府に投降しました。

 

1989年3月12日、彭家声の軍隊はミャンマー共産党からの離脱を宣言し、ミャンマー民族民主同盟軍と名称を改め、ミャンマー政権と停戦協定を結び、コーカン自治特区を成立しました。

 

2009年8月、ミャンマー国防軍がコーカンに進攻しました。敗走した彭家声はメディアを通じ、国際社会に援助を求めようとしましたが、ミャンマー政府と中共に情報を封鎖されたため、コーカンの戦況は国際社会に注視されませんでした。

 

2010年、彭家声は兵を整え、再び戦いを始めました。

2014年、連戦連勝の状況の下、彭家声は国際社会において、特に中共の助けが必要であると考えました。12月末、彭は中共の記者をコーカンに呼び、戦況を報道するよう依頼しました。

 

しかし中共は彼を助けないばかりか、華人が戦禍に巻き込まれた事実すら否認しました。我々「マイクロニュース」だけがまだ戦禍の中の華人を心配しています。彭家声は今回の情勢について、3つの読み誤りをしています。1、彭家声は毛沢東を華人の旗印として掲げましたが、共産党が民族と国家を捨てた亡命者であり、毛沢東は中華伝統を破壊した殺人鬼であることを忘れています。華人らは毛沢東を認めないため、彭家声の呼びかけにも共感しません。

 

2、中共は言うほど強大ではなく、80年代のように虚弱なため、外国と一戦交える勇気もありません。理由は極めて単純です。党・政府機関と軍隊が極度に腐敗し、戦いに耐えられないからです。

 

3、中共とミャンマー軍政府は昔から結託しており、華人の生死など浮雲にすぎず、中共の利益集団の利益を守ることが第一です。

 

彭家声が中国人の支持を得ようと思うなら、「反中共愛国」の旗印を掲げると多くの人が応えるかもしれません。中国人は陳勝・呉広の出現をずっと待ち望んでいるからです。

 

彭さんには『九評共産党』を一読するようお勧めします。中共と中国の問題を明確に説明した本物の宝書です。ありがとうございました。

                                                              http://www.ntdtv.com/xtr/b5/2015/02/26/a1180237.html(中国語)           

(翻訳/赤平 映像編集/李)

 

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